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1989年4月15日、前中共総書記胡耀邦の死去をきっかけに北京の天安門広場で学生らが追悼集会を行い、汚職撲滅や報道の自由、政治改革を求める民主化運動が始まった。4月26日に官製論説「動乱反対」が出されても運動は拡大し、5月13日からは学生の絶食抗議が続いた。5月20日の戒厳令宣言後も抗議は続き、5月30日に中央美術学院の学生が民主女神像を建立した。6月4日未明、人民解放軍が武力で天安門広場の学生や市民を弾圧し、民主女神像は撤去された。この事件で多数の死傷者が出たが、正確な被害数は未だ不明であり、中国本土では言論規制下にある。戒厳軍は坦克や装甲車を使い武装し、広場周辺と市内各地で市民と激しく衝突した。現場取材者の証言によれば、広場には最終的に数千名の兵士が銃を持って進入し、学生らに発砲、棍棒による暴行もあった。今回の事件は世界に衝撃を与え、中国の政治的硬直と人権弾圧の象徴となっている。
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