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1989年6月4日に発生した六四天安門事件は、中国北京市の天安門広場で民主化を求める学生や市民が集結し、中国人民解放軍により武力鎮圧された事件である。事件は4月中旬の胡耀邦追悼活動をきっかけに始まり、多くの学生が人民大会堂前で政府に対し民主化の七項目要求を提出し、静坐や演説を行った。5月中旬以降、学生らは絶食も辞さない抗議を展開し、政府側の李鵬首相や趙紫陽総書記と対話を模索したが成功しなかった。 6月3日の深夜から戒厳軍が北京市内に入り、数十万の兵力が展開された。戒厳軍は人民広場や周辺地域で学生、市民と衝突し、戦車や装甲車を使って強制排除を進めた。広場には最後まで残った学生もおり、武装警察に暴行を受ける者もいた。記念碑や広場には銃痕も観察され、死者数に関して公式発表はなく、数名の学生および一般市民が命を落としたとされる。事件当日の長安街では市民が装甲車を攻撃するなど激しい衝突が起きた。 事件の報道や情報は政府により厳しく制限され、後に「政治風波」と表現されるなど、中国当局は事件の実態を隠蔽し、参加者や記録の公開を制限している。国際的には「天安門大虐殺」とも呼ばれ、中国の政治的自由拡大の要求が軍事力で弾圧された重大事件として位置づけられている。
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